女城主直虎と信長

愛須 隆介 著作「女城主直虎と信長」はアマゾンで販売中!(単行本・ソフトカバー)
[ なか見検索 ]で、サンプルがご覧いただけます → Amazonはコチラ

第1話 女にこそあれ、次郎法師

「直虎」という名前の由来は、女でありながら戦国の世で、男の武将に伍していくために、背伸びして付けたもの。

しかし、この男のような名前のお蔭で、歴史マニアの間でさえ、長く男の武将と思われてきました。そして男の武将にしては戦場経験もなく、したがって歴史小説マニアの興味を引くことがありませんでした。
ところがNHKの大河ドラマに採用されるや、広く日本中に知られ、逆に戦国時代に珍しい女城主として人気を博しました。

実は直虎の生涯は並の武将以上に波乱に満ちたもので、大恋愛あり、三角関係あり、権謀術数あり、暗殺事件ありで、ドラマのヒロインの資格十分だったのです。
しかも時代は歴史マニアに人気の高い戦国時代で、直虎の生きた遠江は群雄割拠する大国の中心に当たる場所。当然戦国の世の変化の凝縮のような事変が、相次いで起こります(遠州錯乱)。さらに直虎の生きた歳月が重要で、彼女は織田信長とほぼ同じ時を生き抜いています。

これが何を意味するかといえば、信長の起こした波紋を全部直虎のいる遠江は受けたということです。
信長の全国デビュー戦「桶狭間の戦い」では父親直盛を亡くし、信長の発布した「天下布武」では武田勢の侵略を招き、長篠の戦いも危ないところで切り抜けています。
井伊家の血を引く築山殿は、家康の長男と一緒に、信長に殺されました。その他部下も多数命を落としています。

そして最後の「本能寺の変」では、手塩にかけて育てた直政を失う危機に陥ります。直虎は信長が引き起こした数々の波紋を、その才知と器量でうまく切り抜けているのです。
こんな素敵な女武将は、戦国時代と言えども直虎をおいて他にはいません。

第2話 信長と直虎の相対性と類似性

男と女。中央と地方。陽と陰。すべてが対極に位置しながら、二人はよく似た資質と考えの持ち主でした。

まず外見では美貌。信長は幼少時から女と間違われるほどの美男子。直虎も井伊家の血筋を引いて、ハッとするような美女。そして新しい物好きで、頑固一徹。思い込んだら他人の言うことを受け入れず、自分の考えを貫き通します。

実際に直虎が行った人材登用術。信長は秀吉を農民から武士に取り立て、手柄を立てると重用したことで、旧臣たちを発奮させ競わました。直虎もまた農民出身者を登用し部下にし、重用しました。扱いづらい重臣もうまく使って今川と渡り合い、勢力を盛り返します。

実は最も得意だったのは諜報戦。井伊家や徳川家は、伊勢の忍者の里が近かったことで、全国に先駆けて忍者を活用できました。家康は幕府を開いてからも服部半蔵や柳生一族を登用しています。
この才能は直政にも受け継がれますが、実際に行ったことのない土地でも、情勢を手に取るように読み解き、井伊家のために役立たせます。

次に経済政策。信長の楽市楽座は有名ですが、直虎も徳政令で危機を迎えた時、信長の使った策を用いて、被害を最小限に抑え、それどころか逆に富を自分の領地に誘導さえします。
そして天下布武。信長は道半ばで倒れますが、直虎が歩いた新しい道は、ずっと子孫に受け継がれ、井伊家は繁栄していくことになるのです。

第3話 女子でありながら人生これほど、危機の連続だった人は珍しい?

最初の人生の危機は許嫁の信州への脱出。今川の命令で直親(亀乃丞)も父親同様斬首されかかります。
この時直虎の父、直盛は小野道高と知略を尽くして堂々と渡り合い、直親を逃がすことに成功します。が、その後小野道高の息子政次(道好)と、園(直虎の幼名)は政略結婚させられることになってしまいます。

このように一難が去ると、さらに大きな災難が、直虎の身には降りかかってくるのです。それは彼女をさらに大きく成長させようとする、御仏の慈悲か、はたまた悪魔の仕業か?

さらに父直盛を桶狭間の戦いで亡くし、その後も直親を暗殺されてしまいます。
この戦国時代、女の城主を今川がすんなりと承認するはずはありません。そこで直虎は井伊家に入り込んでいた小野道好の今川家での立場を読み、逆に利用することで強引に承認させます。最初の大芝居です。

今川家が井伊家をつぶそうとして仕掛けた罠。それは農民に反逆を起こさせ、城主として失格の烙印を押させることでした(徳政令)しかし、これを黒印状を使って事前に無効化し、第1回目は何とか切り抜けてしまいます。
これに業を煮やした今川家は、2回目の徳政令を発します。2度目は回避できません。おまけに城主失格となれば、斬首される憂き目にあうのです。人生最大の危機でした。

この危機をまたもや直虎は、井伊家に深く入り込んでいた道好を使って丸め込み、命だけは救われます。
相手はかつて自分に言い寄ったこともある小野道好。そこで直虎の打った大芝居は、部下をも感嘆させました。

普段は尼僧姿や粗末な袴姿で、まるで男のような格好でいる直虎でした。しかし、この時は道好の城主就任を祝うため、人生で初めて女装(盛装)して、皆の前に現れ出ます。
その場にいた男どもは直虎の美しさに見とれ、感動し、道好さえも殺そうとしていたのを止めてしまいます。こうして人生で最大の危機を乗り越えたのでした。

その後今川を見限った直虎は、徳川と手を組みます。相手は信長の部下。つまりは父の敵。しかし、井伊家のために直虎は我慢します。
これでひと回りもふた回りも、人間が大きくなっていきます。

そして三方ヶ原の戦いでは、家康と運命を共にし、またもや危機を迎えます。
この時も直虎は、家康が部下に見せたしかみ面をなじり、絵師に命じて似顔絵を描かせて見せることで落ち着かせます。
直虎のお蔭で気が大きくなった家康は、有名な「空城の計」を考え出し、窮地を脱します。

この瞬間、家康と直虎、徳川家と井伊家は固いきずなで結ばれ、それは徳川300年の間変わることは有りませんでした。

愛須 隆介 著作「女城主直虎と信長」

愛須 隆介 著作「女城主直虎と信長」

愛須 隆介 著作「女城主直虎と信長」